山本能楽堂の歴史
山本能楽堂が歩んできた歴史を当時の写真とともにご紹介します。
山本能楽堂の創設
山本博之(昭和43年 叙勲記念)
「山本能楽堂」は大阪のオフィス街に佇む、杜の様な能楽堂です。先代山本博之が昭和2年に創立し、戦災で一度焼失しましたが、昭和25年に再建し約100年の歴史を持ち、平成18年に文化審議会により国登録文化財の指定を受けました。扉を開けると周りの喧噪からは想像できない異次元空間が広がっており、初めて来られた方はその独特の雰囲気に皆様驚かれます。
客席(見所)は、1、2階とも桟敷席の舞台で(一部椅子席)何か懐かしく落ち着いた気分になります。「こちらの舞台が一番好き」と仰って下さる方も大勢いらっしゃいます。
鏡板(舞台後方の松の絵)は松野奏風作で、老松を下から見上げる珍しい形です。
舞台は長い年月の間に磨かれ黒光し、どっしりとした重量感があり、その中央に立つと先人達のぬくもりを肌で感じる事ができます。橋懸かりの欄干は西本願寺の北舞台を模し、弓状を描き舞台にやわらかさを添えています。
二階には茶室もありそこからみる能舞台の分厚い桧皮ぶきの屋根が舞台の重量感をより一層演出しています。また音響効果をよくするため、舞台下には大きな瓶が12個並べられています。現在新しく作られる舞台には瓶が埋められる事も少なく、今では珍しいものとなりました(見学可能)
博之の父、9代目弥太郎(雅号・天麗)は伊弥太銀行を設立し、長く京都市会議員をつとめ、京都市電敷設等に尽力しました。しかし、友人の借財の保証人として裏印をし、友人が遁走したため責めを負い、一切を放棄して邸を出て、大阪へと移り住みました。
先代博之(本名は重三郎)は、明治28年(1900)年 、弥太郎の長男として出生し、大正4年(1915年)20歳の時、能楽の極め尽くせない奥深さにひかれ、24世観世宗家に入門しました。
そして、現在地大阪市中央区徳井町一丁目に、念願の「観衛會舞台(現・山本能楽堂)」を設立し、昭和2年(1927年)11月16日に、24世観世宗家左近先生をお迎えして舞台披きを行いました。
大阪は当時「大大阪」と呼ばれ、史上空前の賑わいを見せた時代であり、謡曲を嗜む方も多く、「文化的な社交場」を作ることを目的に船場の旦那衆によって山本能楽堂が建てられ、能楽を通して大勢の人々が交流を深めてきました。
伊勢屋弥太郎旧邸宅(博之の生家)
祇園祭後祭 鈴鹿山
享保3年に山本家が寄贈した能面
昭和2年建設 戦前の山本能楽堂
しかし昭和16年(1941年)、太平洋戦争が勃発し、昭和20年(1945年)3月13日に、夜の大阪大空襲で全て消失しました。戦争中も舞台をつとめた博之は、「能とはこんなによいものか。秀吉が陣中で舞ったのも無理がないと思う」という言葉を残しています。昭和21年(1946年)には焦土と化した大阪で「最高の能楽を鑑賞芸事の向上を致」すべく「山本能楽会」を興し、能の普及につとめます。昭和22年(1947年)の「江口」では大阪府芸術祭賞を受賞しています。
そして、がれきの山の中で、「もう一度谷町に能楽堂をつくりたい」という船場の旦那衆や市民の熱意によって、昭和25年(1950年)に山本能楽堂が再建されました。支援者には、松下幸之助や田村駒治郎、武智鉄二らが名を連ねました。
焦土からの再建と人々
「山本能楽堂」の再建は、建築をして下さった浜田豊太郎氏はもとより、皆様の厚い熱誠の賜物でございます。能舞台は戦前より備蓄の檜を駆使し、最高の資材で、最高の宮大工の技巧を凝らし作られました。しかし戦後の物資の乏しい中、能舞台以外の建物は古材や廃材を交え、当時手に入ったあり合わせの資材で「物はなくても人々の熱意と英知を集結して」再建されました。「山本能楽堂」を訪れて下さったお客様の中に「非常に美しい舞台である」と感動して下さる方が多くいらっしゃいますが、これは宮大工の技術を使って建てて下さった「山田組」の方々のお陰様と心より感謝申し上げております。
戦後、能楽堂再建のための地鎮祭の光景
昭和25年 当時の山本能楽堂
上棟の日 千歳直垂姿 浜田豊太郎氏
また、「山本能楽堂」の鏡板の松の絵は他の舞台の鏡板より少し個性的です。
これは、画家の松野先生が来られた時には、すでに舞台に鏡板がはめ込まれていたことに起因します。通常日本画を描くには床面に倒して描きますが、すでに大屋根まで葺いてあったので、鏡板はとうてい外すことができず、大いに苦心して描いてくださいました。
新築当時の鏡板
鏡板を描かれる松野奏風先生
舞台披きの記録
昭和25年 再建当時の見所(客席)
昭和25年(1950年)3月2日の朝日新聞の記事に「本格的な能舞台、大阪で四月に完成」という見出しで記事が掲載されています。
「能楽堂は戦災でその大半を失い、今年は東京の水道橋宝生能楽堂が落成する筈だが、それにさきがけて観世流の山本博之氏が東区徳井町の旧邸跡に復興した山本能楽堂がほぼ完成、四月下旬には落成式を挙げる予定で鏡板の松を能画の第一人者松野奏風画伯が腕をふるって仕上げている。
舞台は、西本願寺黒書院の国宝舞台『桃山城の遺構』を写した方三間の本格舞台で鏡板の松も本願寺のものにならい根上がり松が向かって右へのびているのと、一方の枝を切戸の上まで延ばしているのが普通と異なっている。」
舞台披きを前にした当時の能楽堂の息吹が伺えます。思えば戦後全国を通じて一番に先がけた舞台復興でした。
舞台披き当日は、25世観世御宗家をはじめ京阪神の職分大家、三役のご出演により5日間にわたり目出度く披かせて頂きました。
舞台披きでの「羽衣」 山本博之
『山本能楽堂 舞台披き』(初日目)昭和25年4月26日
『山本能楽堂 舞台披き』(初日目)昭和25年4月26日『山本能楽堂 舞台披き』(初日目)昭和25年4月26日
「翁」 観世元正 千歳 山本勝一
「高砂」 片山九郎右衛門
「橋弁慶」 梅若猶義 子方 山本順之
「羽衣」 山本博之
「猩々」 大槻十三
(二日目)
「翁」 山本博之 千歳 山本眞義
「嵐山」 山本勝一 トモ 八木康夫
「箙」 松浦利一
「花筐」 春日宗正
「鞍馬天狗」 波多野敞
(三日目、四日目、五日目)は素人能、謡
博之はその後も情熱的に能の普及につとめ、昭和43年(1968年)勲五等双光旭日章を授与されましたが、昭和48年(1973年)定期能にて「玄象」を最後の装束能に79歳にて惜しまれつつ急逝しました。
大阪府芸術祭、フランス国立音楽舞踊アカデミー団体賞、二度の大阪文化祭賞、府民劇場賞、さらに昭和42年(1967年)には「戦後舞台を最初に建設して、社会教育に貢献した功」とあって大阪府知事賞等受賞しています。
昭和38年 「道成寺」
昭和38年 古希記念能「姨捨」
叙勲 パーティーにて博之夫妻

昭和32年 パリ 藤田嗣治邸にて

昭和48年 10月「玄象」 最後の装束能
開かれた能楽堂へ
現在の山本能楽堂
山本能楽堂は、博之の死後、長男の勝一が当主として、一門で大切に守って参りましたが、「市街地にある三階建ての木造建築で、伝統的な能舞台を持つ能楽堂として貴重」なことから、平成18年(2006年)12月に文化審議会により、「国のたから」として登録有形文化財(建造物)となりました。
平成23年(2011年)からは、文化庁の重要建造物等公開活用事業により、国の初めてのモデル事業として(株)安井建築設計事務所の設計、grafのデザイン監修により、耐震補強工事を中心に、環境・衛生面の改善など大規模改修が行われました。改修には多くの企業様、市民の皆様にお力添えを賜りました。心より感謝申し上げます。
外観
現在の鏡板
改修のコンセプトは「開かれた能楽堂」。歴史の陰翳が刻まれた建物にモダンな空間が対峙する、他にはない新しい空間が生まれました。古い建物の良さはそのままに、床暖房、カラーLED舞台照明など現代のテクノロジーが加わり、車いす対応も含めより快適にお客様を迎えられるようになりました。
また、能舞台の檜皮の屋根も葺き替えられ、その伝統技術もご覧いただけます。
楽屋の二階・三階部分には新たにライブラリー・資料室を設け、資料を閲覧頂けます。改修を機に様々な資料が発見されましたが、中には画家藤田嗣治の貴重な資料も含まれていました。
現在、山本能楽堂は、公益財団法人として能を「現代に生きる魅力的な芸能」として普及・啓発する様々な活動を精力的に行っています。観世流の能楽の伝承のみならず、初心者向けの公演、全国の子どもたちへの出張公演、体験講座、公共空間でのストリートライブ能、アプリ開発などその活動は多岐にわたります。
平成19年(2007年)からは大阪市、大阪商工会議所、大阪観光局の協力により、能を含めた上方伝統芸能全体の情報発信の役割を担い、大阪の地域振興に木よしています。また、現代アートとのコラボレーションによるユニークな活動も多く、造形遊びを通じた独創的な子どもたちへの能の普及活動もおこなっています。
平成21年(2009年)には子どもたちと一緒に水の浄化をテーマに環境問題を考える新作能「水の輪」を初演し、依頼、Noh for SDGsとして国内外で30回以上の再演を行い、能の力で持続可能な社会の実現を目指しています。
近年は東ヨーロッパを中心に能の海外公演も精力的に行い、その活動が認められティファニー財団日本文化大賞、国際交流基金地球市民賞、はなやか関西インバウンド賞、外務大臣表彰など数々の賞を受賞しました。
新作能「水の輪」
現在の山本能楽堂は、大阪のオフィス街に佇む、杜のような能楽堂です。扉を空けると周りの喧騒からは想像できない異次元空間が広がり、初めて来られた方はその精緻な雰囲気に驚かれます。
舞台は創設以来、長い年月の間に磨かれ、黒光りし、どっしりとした重量感があります。
客席(見所)は一階、二階ともに桟敷席(いす席)で初めて来られた方でも、なにか懐かしく落ち着いた雰囲気を感じて頂けます。音響効果をよくするため、舞台下には大きな瓶が12個置かれています。現在、新しく作られる舞台には瓶が埋められることはほとんどなく、今では珍しいものとなりました。(見学可能)
音響効果を高める舞台下の瓶
山本能楽堂は約100年近く「大阪・谷町の能楽堂」として地元の皆様に愛され、お守り頂き、大阪における能の振興に携わってきました。これからも、700年連綿と続く能の歴史の中で、「今」の次代を担う責務として能楽の普及・啓発につとめ、未来へと能楽を継承していく所存でございます。
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。
公益財団法人
山本能楽堂
〒540-0025 大阪府大阪市中央区徳井町1丁目3-6
TEL:06-6943-9454(不定休、10:00~17:00)
FAX:06-6942-5744
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